勉強をしました。満州事変以降は軍部、とくに陸軍の政治への発言力はいちだんと強まりました。しかし、このころ陸軍の内部では天皇中心の精神主義的な国家改造を説く皇道派と軍の統制を保ち、政界・財界とも結んで高度国防国家づくりをめざす統制派が対立していました。1936年2月26日に二・二六事件がおこりました。皇道派の一部将校らが昭和維新の断行をさけび、約1400名の兵士をひきいて反乱をおこしたのです。反乱部隊は首相官邸・警視庁などをおそい、政府要人を殺害しました。首都には戒厳令が出され、反乱はまもなく鎮定されましたが陸軍では統制派が皇道派を追放して、完全に主流派となりました。二・二六事件後、軍部は政治に積極的にかかわるようになりました。軍部は政府に圧力をかけ、イギリス・アメリカにそなえて中国大陸と南方とを日本中心にブロック化する国策としました。これによって日本は対外的にはドイツとの提携をすすめるとともに中国の華北地域を国民政府から分離して親日化する計画をすすめ、大規模な軍備拡張計画を推進していきました。http://www.ner-trap.com/